東京高等裁判所 昭和52年(う)2804号 判決
被告人 笹沼一美
〔抄 録〕
所論は、原判決判示第二の事実について、本件は被告人がパトカーに追跡されている間に起した追突による物損事故に関するものであって、その事故は警察官が現認していたものであり、また被害自動車も直ちに追跡を開始して交通秩序の侵害もなかたっのであるから、被告人には道路交通法七二条一項後段の報告義務はないのに、原判決が一律にこれを合憲とし、その義務を怠った違反があるとしたのは法令適用の誤りを犯すものである、というのである。
そこで関係証拠に照して検討すると、被告人は原判示第一の信号無視の道路交通法違反を警ら中のパトカーの警察官に現認され、スピーカーによる停止の指示を受けながらこれを無視し、パトカーの追跡を受けて逃走中、信号待ち中の普通乗用自動車に追突して同車を損壊する原判示第二の交通事故を起したものであることが明らかである。
ところで、道路交通法七二条一項後段の規定が交通事故が発生した場合に運転者等に対しその発生の日時、場所、死傷者の数、負傷の程度、損壊した物および損壊の程度ならびに当該交通事故について講じた措置の報告を義務づけている法意は、警察官をして交通事故の発生を知り、被害者の救護、交通秩序の回復について適切な措置を執らせ、もって道路における危険とこれによる被害の増大とを防止し、交通の安全と円滑を図る等の専ら道路行政上の目的に奉仕するためのものであって、その交通事故の原因となった犯罪の捜査を目的としたものではなく、従って報告内容には事故発生者が刑事責任を問われるおそれのある事故の原因等の事項を含まず、またその方法は直接出頭を要しないのであるから、右条項は、黙秘権を規定した憲法三八条一項に違反しているとはいえないことは明らかである(最高裁判所昭和三七年五月二日判決―刑集一六巻五号四九五頁)ばかりでなく、同条項所定の義務は、自動車運転という一般に危険を伴う社会的に公認された行為をする者に対して、自己の行為に起因する事故について事故発生についての刑事責任の有無を問わず一律に課せられた義務であるから、その履行を強制することによる黙秘権に対する間接的影響は自動車を運転する者の黙秘権に内在する制約として許容され、受忍されなければならない性質のものと解するのが相当である。(東京高等裁判所昭和四七年五月二九日判決―刑集二五巻二号二二八頁参照)
そして道路交通法七二条一項後段の趣旨が、前記のとおり、交通事故の発生した際警察官に適切な措置を執らせるための情報を得させようとするものであり、また同法条自体、事故現場に警察官が居合せる場合にも報告を要請していることに照すと、同規定は、同条所定の交通事故が発生した以上、警察官がその事故を現認していたか、どうか、交通秩序が、混乱したかどうか等の具体的状況のいかんにかかわらず、事故を発生させた運転者に対し、同条所定の事項を警察官に報告することを義務づけたものであり、その理は他の違反を犯してパトカー等で警察官に追跡されている場合も異らないと解すべきであるから、本件にあっても、被告人は右法条による報告義務を免れないというべきであり、これと同趣旨の判断のもとに同法条の違反を認めた原判決の法令の適用に違法はない。論旨は理由がない。
(小松 千葉 鈴木)